映画館で見るからにはオーケストラの演奏が聴けると思っていたが
それはなかった。誰かにはめられて、疑心暗鬼に落ちる苦悩という事だろうか。
もっと脂身の様なものが欲しかった
トランプ政権誕生前のアメリカの片田舎の物語。
興味深い。
無職の職探しの結果ドラッグ売人、その家族もドラッグ中毒。
いじめられっ子、とその嘘、地元のギャング。
狭い街の狭い人間関係の中でしょぼい話が、美しい構図と人物描写で
描かれている。
文無しになったマイキーは何も持たずに
元妻を頼って戻ってくる。その場しのぎの出鱈目でなんとか付け入り
ねぐらを確保。手っ取り早い仕事でドラッグ売人になる。
チンケな小商で生活費を払えるまでになったが、ドーナッツ屋のバイト学生のストロベリーに岡惚れ。彼女とのセックス動画を撮影し、ポルノ女優としてプロデュースで儲ける夢を持つが、ギャングの急襲にあい裸で逃げる。逃走の様子が続き、惨めさを感じさせた。
文無しにってストロベリーを尋ねる所で終わるのだが、
少女を騙してポルノ女優にするのは良くないと改心したかと想像させたいのだろうが、マイキーはクズなのできっとストロベリーに頼ったろう。
どうしようもない人々を、取り上げた作品って初めて見た。
ストーリーを見る、と言うよりジャズの演奏を聴きにいくと言った感じだった。
夢に向かって挑戦する過程で男同士の友情、切磋琢磨、野望、が絡みあっての
筋立ては凡庸かもしれないが、ジャズ演奏とジャズを視覚で表現すると言う二点では
大変おもしろかった。主人公三人の声優も若手俳優を起用しており
結果アニメっぽさがなくなっていたのも良かった。
ゲイカップルの死別後の愛の行方を描く。
主人公の浩輔は子供時代にオカマといじめられ、周り敵と思い見返すために努力して、ついに見返すことができ、些細な優越感を得て自尊心を回復をさせた。
だがそれだけでは心は満たされず、龍太との出会いで尽くす喜びを知り、これが愛としる。この龍太、その場凌ぎの嘘をつき浩輔の関心を買い貢がせているものかと思いきや、母の看病のため経済的に苦労していることを本当でそれを隠していた。
このお互いを思いやる気遣いをもって二人は一層想い合う。だが、不幸にして龍太は病に倒れ亡くなってしまう。浩輔は喪失感を拭うように、また自分の母を失った時に出来なかった事を取り戻す様に龍太の母へ献身の対象を変えた。
ゲイであるが故、バレない様嘘で身を固めているが、一旦心開くととことん相手を信じてしまうのもゲイらしい心情だ。それだけ孤独で人との関わりに飢えていたのだ。
孤独を埋め合わせるために相手に尽くす、これはエゴなのか。
確かにエゴだろう。自分を受け入れてもらうために、心の隙間にを埋めるためにお構いなしに相手に接近するのだから。
二人の間に嘘も裏切りもなかったのは、ゲイ特有の幼さ、人の良さも感じられた。
ゲト特有の子供っぽさ、が感じられリアルだった。
東京オリンピック開幕に伴い、外国からの観光客から遠ざけるためにコンビニから成人誌が撤去された。その成人誌編集者たちの誌面作りにかけた顛末を垣間見た。
街から成人誌が撤去されたことには誰もが異論なく賛成することであろう。しかし、そこには生業とする人がいて責任をもって読者に届けている。この気持ちには上下はなく誰も踏みにじれないものだ。
舞台は成人誌の編集部内。性を扱うだけに猥褻なものに囲まれそこに放り込まれた新人女性編集者の奮闘ぶりははつらつとしたものではなく、多忙の中、要領よく機械的にこなす様と性を扱うため自分の欲求が高ぶりだす奇妙な二面性をもちながら制作する様子が描かれていた。これが、人心の摩耗を招くのかもしれない。
DVDを付けないと雑誌は売れないのか、自分たちの存在意義は? 仕事を通じて自分を表現す出来るかと葛藤、衝突が生々しい。
最後は編集部解散となり仲間らは散り散りになるが、それまでの経験を生かして新天地を、という前向きもなく、どっこい生きている強さをみた。