大阪の街中、ランドセルを背負った子供の向こうに在る二階建てビル。
これがヤクザの住まいとは気づかない。わたし達の日常の中にある「異端」を分かりやすく示すところから作品は始まる。
住み込みの兄さんにカメラを回しながらあれこれ聞く。キャンプセットの袋をマシンガンですか?と聞くと観客はどっと噴出すのだが、穏やかに答えていた兄さんが見せた背中の刺青で、油断していたことに気がつく。
カメラはヤクザの暮らしぶりを映し出す。思った以上に質素なのだが、
男だけの暮らしであることに気がつく。お茶出しも料理も掃除も洗濯も皆男である。
そんな中、組長が見回る先の新世界の女店主やヤクザ専門の弁護士の事務員は
いかにもツワモノな女としてホッとさせてくれる。ここのところがテレビ的というか。
奇妙な団体生活の中で生まれてくる親近感、愛情が見えてくる。
カメラはしのぎの瞬間も捕らえていた。高校野球賭博や何かしらの集金の現場。
非合法な何かでしのいでいる。
映画はヤクザの置かれた窮状を見せてくれた。
そんなに苦しいのならヤクザをやめるしかないが、やめてどうするか
ヤクザはセーフティーネットなのか
どんな業界でも団体組織がありその権利を主張し組織利益を守るのは
一緒なのだ。「ただ今」を見せる作品だった。
警察の恫喝にもヤクザの恫喝にもひるまずカメラを回し続けたことに感服!