福岡久留米で起きた殺人事件をベースにした映像。
冷たい熱帯魚の関係者が制作したとの触れ込みだったので見たのだが
狂気さやスリリングさ緊張感が足りなかった。
田舎のチンピラが見境なく場当たり的な生活、事件を起こしているようにしか見えない。その何気なさが恐怖なのか、役者陣の熱演も空回りしていて人間の狂気に引きずり込まれることはなかった。
その日の食事、寝床にも苦労しているヤク中のホームレスが
たまたま拾った茶トラの野良猫と暮らしだすことで
人生が好転していく物語。
本国イギリスでは軽いタッチの映画なのかしら。
売出し中の若手イケメン俳優と猫の物語なら
そこそこ当たるだろうという目論見なのかしら。
作品そのものはコメディにもシリアスにも振り切れない
半端な出来栄えであった。
イギリスの若者の貧困問題、を随所にちりばめてみじめさを
深く描けば、と思ったがそんなものは誰も受け付けないのかな。
隣人で自殺した兄の部屋で兄の人生を生きるベティ
離婚して息子ジェームズとの面会を拒否してきた父親
ヤク中ジェームスの保護を務めてきたヴァル
それぞれ一癖あって面白いのだが
うまくかみ合っていない。
鑑賞するまで、沖縄戦で戦った人物の実話に基づくものとは全く知らなかった。
冒頭、主人公の兄弟が崖に登る所から始まり、彼の人生が崖と関わることを前面に訴える。更に兄弟げんかでブロックで相手の頭を殴り瀕死に追いやるも、壁に掲げられたキリストの絵ある「汝殺す無かれ」に電撃的な衝撃を幼心に受ける。この二点が彼の今後の人生を決定付ける、と言いたいのだろうけど直接過ぎるかな。。。
成長し看護婦に恋をし、良心的兵役拒否者として志願していくのだがそのキッカケが思い出せず。兄の出兵を見て、自分にできることを模索した結果だったけ。
己の信条をもって兵役にありながらも銃を持つことを拒否し、その結果いじめにあったり軍法会議にまでかけられる。ここまでくると受難である。なぜ彼が、軍人として良心的兵役拒否を続けていくのかが私には腑に落ちない。
映画の前編は彼の信条が確立されるまで、そしてその強固さを印象付ける。後半からはアクション映画のようになり血みどろの戦場を生々しく描く。飛び散った肉片、砕ける両足と。彼を馬鹿にしていた同僚たちも含め彼の神がかり的な行動で助けられていく。信念が勝つ、と訴えるのだろうか。
対する日本兵も描かれており、別れの水杯や切腹、介錯なども描かれこれまでのアメリカ映画で描かれるような悪魔的な敵ではなく、おなじ人間として描かれていたと思う。米兵は日本兵を恐れていたのね。
最後にドスに救われたという本人たちが回想するシーンで終わるのだがこれを入れればどんな駄作でも文句のつけようがなくなる。
好ましい手法ではないなぁ。
総じて、綺麗にまとまっていてアメリカ人が好みそうな、してやったりな伏線回収もあって文句は無いのだが、余韻というか陰影が無いつるんとした作品でもあった。
主人公のアンドリューガーフィールドの顔の小ささはドス本人にそっくりだった。
この人、「沈黙」のロドリコ神父でもあるわけだが、つくづく神に試される役柄が多い。
兄の死をきっかけに捨てたはずの故郷に戻ることになった主人公リー。この映画はきっとリーの心が許し許されていく筋だろうと思い込んでいたが綺麗に裏切られた。おかげで大変充実した鑑賞となった。
自分の過失で3人の子供たちが焼け死に、生き残った妻とも別れてしまったリー。その消せない過去を背負って、住めなくなった故郷を捨てボストンで、アパートの住人に使われる便利屋として生きている。まるで自ら懲役を科しているかのように。
そこに突然の兄の死で彼の地下に潜るような生活は変わる。兄の遺書で残された子供の後見人として、故郷に戻れというものだ。兄の計らい。リーもそれを驚きながらも、子供のためを想い暮らし始める。
でも故郷には思い出が多すぎた。別れた妻との再会、兄の元妻との再会、生き残っていた噂。
バーで酔客に殴りかかるシーンは二度ある。最初はボストンで。二度目は故郷で。リーの心が変わっていないことを上手くあらわしている。画の取り方も緊張感、ハリがあってみていて心地よい。2時間見ていても飽きない。前触れ無く切り替わる回想シーンも自然で、リーが追憶の中に生きていることを感じさせた。
兄の埋葬の後、とぼとぼと歩くリーとパトリック。ボストンに戻ることを告げるリー。でも部屋はこれまでのワンルームと違ってパトリックが泊まりに来れる様もう一部屋ある物件を探すという。
故郷に戻って、元家族に再会し、彼ら彼女らが人生を再開させていることを知り、自分も変われるかも知れないと思い出したのかもしれない。
明確な希望は描かれていなかった。それが良い。時が解決するまで、その記憶が小さくなるまでリーは生きていくのだ。
イギリスはいつの間にか貧しい国になっていた。世界一の福祉国家だったのに。
病にかかってしまうと、仕事を失い、あっという間に転落していくベテラン大工のダニエル。それぞれの父親が異なる二児のシングルマザー、ケイティ。
職安でであった二人が助け合いながら物語りは進む。
職安では融通の利かない、人間味の無い役柄として描かれている公務員たちだけど、彼らの立場に建てば、ダニエルたちは大勢のうちのふたり。それもよくいる二人。悪役として描かれているけど、そこは割り切れない。
フードバンクの係りのおばさんや万引きを見逃したスーパーの店長などイギリス人の優しさはそこここに見えた。行政から零れ落ちた人たちに暖かい手を差し伸べる人はいる。
あまりにも煩雑な行政手続きに根を上げそうになったダニエルに、
正直でまじめな人たちがホームレスになっていくのを何人も見てきた、、、だから申請を続けてとアドバイスを受けるも、三行半をつけて退場する。
この作品、バランスの上に成り立っている。
公務員や行政制度を悪役にしないと、物語が成立しないのだ。
しかし彼らもまた、失職の恐怖にある。
スマートで合理的な行政によって人間の尊厳が失われたというのは
ちょっと納得できない。
科学的根拠とかは置いといて、巨大な怪物たちが暴れまわるという爽快感。
冒頭から高速道路上に並んだ色とりどりの車とカラフルな服を着たドライバーたちのダンスから始まる。渋滞のいらだちから晴れ晴れとした空の下で軽やかに踊るさまと楽しい曲が、物語の導入に花を添えている。
1970年代の舞台かなと思ってたらスマホが出てきたので現代だった。
映画女優を目指すミアと自分の店を持ちたいゼフの夢をかなえるまでの物語。
夢見る二人はお互いのその奮闘する姿に惹かれあっていく。
オーディションに何度も落選してもトライするミア、理想とは違う音楽活動を生活の為始めるゼフとの間に徐々に隙間ができる。それを乗り越えようと営業先から戻ってミアの為にサプライズ夕食会を用意するも喧嘩して別れたり。
女優の夢をあきらめて実家に退散したミアを追って、最終オーディションへと連れ出し
そしてついに役を射止める。
すると舞台は暗転し、女優になったミアと店主になったゼフが登場する。
それぞれ夢を叶えられたのだが、それぞれの道を取ったからだろう。
偶然にもゼフの店に入り、初めてであったクリスマスのレストランでの流しで聴いた曲を披露される。二人は一瞬にしてその時に戻り、走馬灯は巡るが
全てを捨てて駆け出したりはなく、そっと終わる。一つの青春の終わりを美しく描いた。