オデッセイ

アメリカ人のプロジェクトに対する考え方が分かる作品。

近未来の人類は火星に到達していた。植物学者のマーク・ワトニーは

砂嵐に襲われ死んだと仲間に思われ火星に取り残された・・・

ここから、火星側と地球側で救命劇が始まるのだが

そのどれもが前向き。

悲観的にならずに、課題を如何にして解決するかその策を練るところが

見所だ。

マークも残された機材で基地内に畑を作ったり水を作ったり

過去の実験機材を掘り起こして少ない駆動部分を16進法で

通信を試みたり。

地球側も、彼の遺体を人工衛星で捜し出そうとしたときに

異変に気づき、生存を確信してからの奮闘振りも面白い。

補給線を3ヶ月で作るように段取りしたり鼓舞したり

急ぐ余りに点検をおろそかにしたせいで補給船を積んだロケットは

爆破するも、中国が手助けしたり。

 

如何にして課題を見つけて解決するか、という教材のような映画だった。

 

 

X-ミッション

派手なアクションが、すべて実写で撮られていると言うところに

驚くのだが、アクションがすごすぎて、アクションとアクションを繋ぐ

物語がいまひとつ・・・

派手なアクションを売り物にしたスタントマン・ジョニーユタが

友達を亡くしたことをキッカケにFBI捜査官となる→なんで?

実習中に起こった事件を推理し、エクストリームスポーツを通じて

壊された自然を戻そう、という集団に行き着く。

なんともご都合よき物語の部分は凡庸だが

バイクジャンプ、スカイダイビング、サーフィン、殴り合い、スカイスーツ、クライミング、スノボー、バイクと生身のアクションは最高だ。

同行するカメラマンもすごい!

 

物語部分のロハスシーシェパード系の狂い方があって

受付けられない。

さらば あぶない刑事

テレビ放送開始30年がたつ刑事バディ作品の元祖。
軽妙なやり取り、ダンス、服、酒、女、クルマと
男を引き立てるエッセンスが凝縮されている。
今日日、目の肥えた観客には飛躍しすぎ、現実を超えすぎと
興醒めるかもしれないが、そこは忘れて美学に酔うべきだろう。

最後まで重苦しくせず軽妙さが伝わる作品だった。

サヨナラの代わりに

ALSになったケイトとそれを介助するヤンチャな大学生ベックとの
バディ映画。「最強の二人」の流れを髣髴とさせるように
ケイトは恵まれた人生を送り、ベックは自暴自棄な生活であった。
二人はお互いに感化されながら、人生を深めていくという体。

この作品、登場人物が通り一遍の役割ではなく、それぞれの性格や生活があると
匂わせているのがすごい。悪人、がいないのだ。
魔がさしたり、勘違いしたり、共依存になったりとそれぞれの
弱さがきちんと描かれていた。

ALSになってしまい、夫エヴァンの人生を奪ってしまったと嘆くケイトは
彼の浮気を自分のせいにして彼から立ち去ろうとする。
彼を失うことで見えなかったもの、失われていくものが様々に浮かび上がり
それでもケイトを見捨てずに戻ってくるところが妙味だった。
単に、ベックとの友情物語に済ませなかったのがよい。

ベックも教授との不倫を隠しつつ、エヴァンの過ちを責める立場にないと指摘され
共依存の様になっていたベックと別れを選ぶケイト、それは優しさからか。
大学を止めて介護に精を出すことに自分の存在を見出そうとするベックを
叱り、彼女もまた、自分のために人生を台無しにしているときが付いたのだ。

それでもベックとエヴァンは決して分かれることは泣く
ケイトの傍に戻り彼女の死を見送るのだ。

同じALS患者としてケイトを励ますマリリンの存在も大きかった。
人生をより深く感じていると言う彼女の境地はどんなものだったろう。
そして彼女を失った夫の気持ち、逃れられない死を前にしても
堂々と人生を生きていったのだ。

ただ、この作品は難をいえばすべてが完璧なピースとなって
作品を作り上げている。無駄なものがないのが気になった。

エヴァンはどのアングルからも美しかった。

消えた声が、その名を呼ぶ

オスマントルコ帝国によるアルメニア人迫害の悲劇の中にあった
娘との再会への旅の物語。
鶴を見たものは遠くを旅する、と昔子言い伝えを双子の娘に語った
ナザレットは、まさにその言葉通りになった。
理由もなく連行され、道路工事の強制労働をさせられ
次々に行き倒れする仲間たちを見送るなか、山賊に襲われ喉を切られたため
声を失う。主人公なのに話せないという設定は面白く
周りが物語っていくところが、よかった。

連行先のシリアから海を渡って、キューバ、ノーズダコダと娘の跡を追い続けていく。
行く先々での受難に耐えることでナザレットは心が磨かれていくような
成長物語にも見える。

ナザレットに力を貸す人物は少なく、ほとんどが障害だ。
その絶望の中で彼を救うのが妻や娘たちの霊?幻覚?だ。
心に住まう希望が彼を救うのだ。

クリード チャンプを継ぐ男

青年の成長物語とも言える。
主人公のアドニスは名ボクサーアポロの不肖の子として
正妻に引き取られ、ぬくぬくとボンボンらしく育てられ
貧困からの脱出、という泥臭さもなく、軽いタッチで
ボクシングに励む姿が描かれている。
YOUTUBEやiPHOMNE、クラウドなど現代用語も上手く散りばめて
過去の人であるロッキーを際立たせていた。

ロッキーの指導を請い、成長を擦るもまだ無名の彼は
アポロの血を引くものとしてのみ価値があり
興行を成功させようとする、コンラン陣営に利用されるのも
ロッキー1の下敷きが合って面白い。

コンランに打ちのめされても立ち上がる姿は思わず涙する。
ロッキーシリーズを見ている人にとっては痺れるような構成なんだろう。

親子、父親越え、母への愛など家族愛も含まれて言る。



マイケルBジョーダンの端正な美しい顔とカラダを見るだけでもよい。

恋人たち

今年見てきた作品で、胸倉を使われるような
衝撃を持って鑑賞をした。この心のえぐりよう・・・
驚異的な迫力はマッドマックス 怒りのデスロードなみだ。

物語は三人の人物が抱える絶望と孤独と倦怠によって
語られていく。

アツシは三年前、通り魔により最愛の妻を亡くし絶望のどん底にいる
瞳子は口数の少ない夫と気の合わない姑との暮らしに飽いていた
四之宮は思いを寄せる友人がいるのに結婚後、徐々に気持ちが遠のいていくことに恐れている

一人ひとりの物語だけでも十分に面白い。

絶望のどん底にいるアツシは塞ぎこんでしまい「一時間五万円の弁護士」の費用を捻出するため
給与の前借や保険料の滞納をしてしまう。そんな彼を悪意のない悪意をもった人が
心を切り刻んでしまう。

瞳子はその存在を蔑ろにされている。単調な毎日のなかで唯一の楽しみは
夫との義務的なセックスと雅子様の追っかけビデオの試聴だけだ。

四之宮はどこか高飛車で人を見下す感がある。せっかくの若い恋人に対しても
友達の前で悪く罵り周りが引くほどに小ばかにしてしまう。
退院後、せっかく二人きりになったのにグズグズと文句をたれ
とうとう恋人に三行半をつけられてもまだ憎まれ口を叩かずにはいられない。

アツシと瞳子の描き方は受入れられるのだが
四之宮だけが引っかかりを覚える。
彼は片思いの男に接触を試みるのだが、その疚しい下心を感づいた男の妻が
疎遠になるよう耳打ちしたせいか、男は四之宮を突き放していく。
友達としてビジネスとして、、、いたって普通なことだよを全開にアピールする
四之宮は滑稽でピエロだ。せっかく若い恋人がいるにもかかわらず
彼を愛さず、男への思いを募らせる代替愛とでもいうのか。

三人は怒りや悲しみを頂点に達したときそれぞれに
独白をする。涙をこみ上げて独白するシーンは名シーンだ。

三人それぞれを囲む人々もたまらなく個性的で心の救いでもあった。
アツシにおける黒田、瞳子における藤田、四之宮は片思いの恋人ではなく女子アナ。
張り詰めた心がほぐれた瞬間、他者を受入れられるようになり
新しい一歩へ生活へ進むことができる。

一歩進んでしまうとそれまでの暮らしぶりが急に色あせて見える。
ご祝儀詐欺で捕まったニュースや、ギプスをはずしての最初の一歩や
高速道路の隙間から見えた青空。一歩前に進みだすそれぞれの主人公たちが
か細くも逞しくて、いとおしくなる。

監督は自分が体験したものを脚本にしたり演出にしたのだろうか
作品にはみていて実に生々しく事実は小説よりも奇なり、の奇が沢山ある。