家族を想うとき

ケン ローチ監督最新作。

マンチェスターで暮らす四人家族の物語。

フランチャイズ運送業の職を得たリッキー

介護ヘルパーーの妻 リンダ

反抗期の長男セブ、可愛い盛りの妹ライザ。

流行りのギグワークスで細切れになった仕事を

低賃金で請け負う人、家族でないのに家族以上のケアを

求められる介護サービスと、現代に生きる苦難の側面を描いた。

しかし順調と思いきや、子供の不良行為で仕事を

中断するなどあった。親の関心を呼ぶための赤ちゃん返り

みたいなものかもしれないが、親の十分あ愛情があったら、不良行為は無かったか?

仕事が不調である事、家族不和の問題、は同列に扱ってよいか?

困難な仕事でも家族で協力しあって乗り切る、というストーリーも描けるのでは。

仕事に必要なバンの鍵を隠し持っていたのは

セブではなくライザだった。二人の子どもによって仕事を壊されたのだ。

貧しさとか、人の尊厳が蔑ろにされてるとかより、家族愛に欠けたせいで

愛に飢えた子どもらが自己主張した、そこに貧富の差はないのでは?

ただ映画では、あと一歩で持ち家を買えたのだが不況で仕事も家も失って

それ以降の家族不和、そして仕事不調と主人公の不幸は社会にあるとした。

果たしてそうか。