わたしに会うまでの1600キロ

冒頭、靴擦れを悪くして親指のつめがはげかかったのを無理に剥がした勢いで
大事な靴の片方を谷底に落とし、自棄になってもう片方を放り投げるシーンから始まった。
ぐっと掴まれる。

主人公のシェリルは何不自由のないくらし、と言うわけではない彼女だが
人生を見つめなおすためにアメリカ西海岸を南北に連なる「パシフィック・クレスト・トレイル」に
挑んだ。
孤独の中を歩くとき、思い出されるのはこれまでの人生の過ちや悲しい思い出ばかり。
振り払おうにも、道は単調に続き、際限なく続くように思われ
後悔と鬱屈した気持ちが交互に襲って来る。この描写が面白い。
旅の途中で会う人はシェリルを女と見て襲わんばかりだったが、それは彼女自信の
不安から来る思い込みだったのかもしれない・・・

カウボーイの親父、ヒッチハイクしてくれたロックな夫婦、ライター、狩人、、、
それぞれに何かの思いを持って道中でめぐり合って、触れ合って、別れて行く。
気付かない所で、影響が残っていく。

ドラッグ中毒のセックス依存にかかったときでも見捨てなかった
夫ポールのことが何度も何度も思い出され、手放してはいけないことを
道中で知る。
歩くたびの中で、彼女自身を縛っていた過去の記憶を捨て去って、大事なものを
見つめなおせたと言うことか。