14の夜

1987年のとある田舎町で悶々とする中学生のある一日を描いた佳作。

ファミコン、ビーバップ、ボムなど当時の懐かしいアイコンがちりばめられているのだが、観客に対してはあったあったのノスタルジーを抱かせるだけでなく

少年から大人への成長譚として普遍性を描けていた。

主人公タカシが隠していたエロビデオを謹慎中の父親が見ていたところに遭遇するも

暴走する父親に嫌気がさして飛び出した夜の冒険を経てそのかっこ悪さを受け止めていく。

少年たちの瑞々しさがはじけていて青臭さが匂ってきそうな

良い作品だった。

 

ラサへの歩き方

聖地ラサへ巡礼のたびの物語。旅は車でもなく徒歩でもなく最敬礼の五体投地。身を投げ出しながら1200キロの道のりを進む。家族だけではなく近所の知人や仕事仲間などを連れ添った一行が聖地まで伸びる一本道をひたすらに五体投地ですすむのだ。

巨大な山々の風景の中、彼らが進む姿は実に小さくはかなく見える。

道中、子供が生まれたり搬送車が追突されて大破するなど無事ではないのだが、起こったことを悔やむのでもなく、一心になって五体投地を続ける。

印象的なのは荷物の積んだホロを自分たちで推し進めて、押し始めたところに戻っては五体投地で進むのだ。効率とか合理的とか自分の常識や知っている世界を一変するような映画だ。

一年をかけてあんな無茶な旅をして一体なんになるのだろう。

本当に世界は広い。

ただ気になったのは濡れた体を拭くために裸姿になった彼らの腹がたるんでいるところだ。アレだけ動けばやせてしまうのではないのか?

この世界の片隅に

昭和元年生まれの主人公が戦前戦中の広島での暮らしぶりを丹念に描いた作品。

主人公すずの少女時代から大人になるまでの毎日のエピソードがどんどん進んでいく。

それぞれが独立していて7,80年前の暮らしぶりがよく分かるし、ほほえましい落ちつくので楽しい。作者や監督は老人たちから聞き取りそれらエピソードをまぶしていったのだろう。まるで遠野物語のように小さな民話の集合体だ。

特に原爆投下後に、広島市の回覧板やふすまがその爆発によって呉まで飛ばされてきた、真っ黒になった被災者が行き倒れていたが、後になって呉出身の人と判明したとか恐らく、実話なんだろうな。いろんな人の思い出を組み込んだ感じがする。

アニメーションとしてはキャラクターが4,5頭身で描かれ漫画チックであり背景が蜂蜜ながらも絵本のようなぬくもりを感じさせてくれる。所作の描き方も丹念で、主人公が大きな箱を背負うときの仕草、大盛りご飯のゆれる様などアニメーションらしくて楽しめる。また、主人公の庭先の木の上から主人公たちを見下ろしているシーンがある。木の視点、神の視点なのか?

終戦後に朝鮮の旗が掲げられているシーンがあった。在日朝鮮人たちが終戦=開放を祝って掲げたエピソードなのだろう。しかし、それを見た主人公が、被害者であると思い込んでいた自分も他国を押さえつけていた加害者であったと気がつき慟哭する、というのは無理が無いか。

突然の終戦で力が抜けてさあどうしよう、飯にするか、あの旗なんだろなというくらいではないか。それとも恐怖を感じる、というのが実際ではないか。

徐々に上映する映画館が増えているという。このような作品が広がるのはいいことだと思う。

 

92歳のパリジェンヌ

原題は最後の教え、というのに日本人の耳目を集めるために改題したのかな。

老いて体が不自由になり運転もままならなくなり

粗相も擦るようになった母。92歳の誕生日に2ヵ月後に命を絶つことを家族の前で宣言することから始まる。母が死ぬ、ということを二人の兄妹は受けきれず

混乱するも母の強い意志を汲んだ妹は徐々に認めていく。

良心の呵責というか夢でうなされたり子供のころ、母親と離れて感じた寂しさをオーバーラップさせたりと描写がたくみ。思い出の若い母親とダンスする様も

母親の自由さ明るさを表現していて良かった。兄とは分かり合えないまま別れてしまったのだが受入れ人受入れられない人それぞれだと思う。

怒り

猟奇的な殺人事件の容疑者に似ている三人の男を巡る物語。

沖縄の旅人編、漁港の漁師編、都会のゲイ編と三つの物語が交差していく。この三者の内誰が犯人か、と見ている側は推測していく格好なのだが真犯人は別枠にいてもよかった気がする。猟奇的な殺人を犯した犯人はこの人だと着地させるのはなかなか難しいものがあった。

何しろ、動機付けの説明が別件でつかまった容疑者の語りであったし、なんか腑に落ちない。ミステリーのまま進めてもよかったのでは。

それでも、テレビで報道される犯人像と身近な人を結び付けてしまいそれまでの信頼関係を壊し、壊したため自責の念に責められるという複雑さを持っていた。でも三者でやるババ抜きの様になってしまった感がある。観客も誰が犯人か、みんな犯人で泣ければと思っていただろう。

都会のゲイ編を主軸においてゲイの付き合いのはかなさをテーマにしても面白かったかもしれない。

君の名は。

男女が入れ替わりまわりをトラブルに巻き込んでいく

ブコメディかと思いきやしっとりと楽しめた。アニメーションで描かれる東京の風景もクレパステイストで美しく瑞々しい。二人の愛の力が時空を超え命を救うSF作品とも言える。ストーリーは東京で暮らす男子と飛騨で暮らす女子の心が目覚めるたびに入れ替わり、混乱しながらも変身後の自分を徐々に受け入れ、日記を介してお互いの存在を認め合っていく。東京での生活のシーンは受入れられるが、飛騨の生活のシーンが不自然で腑に落ちない。

巫女、口かみ酒の儀式、ご神体とその周辺の風景など

地元に昔からある感じがしない、都合のよさ、がある。

丁度、ニュータウンの名称が「光が丘」、「虹ヶ丘」などイメージ専攻でつけられた新しい地名の様に、それまでの土地の歴史を分断させるような、違和感、唐突さ、があり飛騨のシーンは受入れにくかった。アニメで古代史のフィクションを違和感無く描けていたのはもののけ姫だと思う。相当なバッググラウンドが作品の根底にあって違和感を感じさせなかった。本作品もそれがあればよかったのに。

1200年ごとにやってくる彗星に過去に襲われた人々が、その災いを後世に

伝えるため、伝承者と壁画を残したと言うのは、東北の津波を意識しているのであろう。なぜ、震災とたくさんの人の死を描く必要があったのだろう。

 

 

 

 

 

後妻業の女

久しぶりに味わい深い作品を見た。

しみじみとよい。

結婚相談所で知り合う持病もちの金持ち爺さんたちを

次々と手篭めに公正証書の遺言状で遺産をすべて奪っていく小夜子。

その手法が同じ繰り返しのところに、浅はかさを感じてしまう。

小夜子は二重人格ともいえるだましのテクニックで銀行員や探偵を

振り回していく軽快さはみていてすがすがしい。

小夜子演じる大竹しのぶ尾野真千子キャットファイトも見ごたえ十分。

ベッドミドラーの曲も黄昏のビギンも旨い肴と旨い酒の関係みたくよい。